映画「マグノリア」考察

マグノリア

1999年のアメリカの映画。
感想でネタバレがありますのでご注意ください。

男女9人の個々のストーリーを描かれています。
彼らはそれぞれに問題を抱え、その苦悩が描写されています。

実のところこの映画の本質はその個別の9人のストーリーではないのですが、まずストーリーの構造を述べた後、ポイントを述べたいと思います。

「マグノリア」ストーリー

マグノリアの出演者たち

共通するのは前述したように苦悩です。

深刻なモノもあればそうでないのもあります。
一見この苦悩に感情移入したくなります。

そしてこれらのストーリーはマルチストーリーのように見えて関係づけられている部分もあります。

でも、これらはそんな重要なことではないのですね。

他の映画でも複数の人間のストーリーが交差していく展開はよくありますよね。

でもこの映画で重要なのは、後で述べますが「見えない世界」です。

映画を見ている我々はその関係が見えていますが、現実は、そんな単純なものではない。

そこに注目しないといけません。

日々我々は悩みますよね。
悩みが全くない人は逆に珍しいでしょう。

原因は多種多様です。

けれども共通項は、自分の考え(欲求)は自分の中で完結できず、個体差があるので常に周りとのギャップがあるからです。

我々は個体差がある中で常に周りとの協調を強いられます。
それが社会というモノです。

マグノリアの9人も社会から要求されるモノと自分の欲求とのギャップに苦しめられます。

普段我々も生きていく中で、知ったことか、と社会のルールを壊したくなることはあるでしょう。

でもそれはできない。
だが、そのルールが壊れる瞬間が社会にはあるのです。

「マグノリア」ポイントは3つ

1、冒頭のビルの内側の人間がピストルを発砲した行為が、ビルから飛び降りた全く他人の人に当たること

世の中の偶然を語る例のように語られていますが、わたしが思うにこの偶然は外部から語った偶然なんですね。

どういうことかというと、カメラがピストルを発砲したビルの内側の一室の場面と、ビルの上の階から飛び降りている人間両方を我々視聴者は見ているということです。

つまり、からくりが分かっている状態で偶然が語られているわけ。

ここから個々の9人のストーリーが始まる前に、この世界の前提となっている必然性や偶然性が表れています。

マグノリアで重要なのは繰り返しますが個々のストーリーではありません。
個々の行動を可能にしている大いなる世界なのです。

2、全員がある音楽を口ずさむというシーンがある

劇中の9人は、当然他の人が歌っていることに気づいていません。

現実のわたし達の生活を振り返ってみましょう。

わたし達も気が付いていないが、個々の行為は見知らぬ他人も結構やっているという当たり前の事実があります。

自分のなかで世界が完結しているので、今もこうやって世界中の人が動いていることで自分たちが支えられていることなど、よく分かっていません。

株式市場での売買は自分たちの生活に直接的に気づいていないが影響を与えてるし、ネットの見知らぬ人の書き込みで全然知らない人が傷ついているということも気づいていません。

このように意識では全然気づかないことがわたし達の個々の行為の前提になっている。
これが大いなる世界の2つ目のポイントです。

3、ラストのカエルが降ってくるシーン

普通はこんなことはあり得ないです。
だからラストのシーンとしてはおかしいと言うひともいます。

ただわたしはこれはやはり素晴らしい演出だと思います。

ポイント1で述べた偶然性とは違って、これは偶然性が内側から示されます。

ポイント1のようにからくりが分かった上での偶然性ではありません。
理解した上での偶然性ではない。

最初このシーンを見た人はなんのことか理解できないと思います。
この理解できないという所にこの演出の素晴らしさがあります。

エマ

映画の演出として予定調和を崩すのは基本ですが、これはその崩し方にすごいレベルの高さを感じます。

そう、かんたんに理解できるようなものであったら偶然とは言えません。

このラストのシーンは賛否両論あります。

映画を見終わって「要するにこういうことだよね」みたいに要約して終わりみたいな演出ではないんですね。

この世界の大いなる偶然は、そんなちゃちなモノではない

例えばわたし達が交通事故に遭ったとき、それは偶然ですが、事故をした瞬間は何が何だかわからないはず。

からくりが分かって交通事故をしているわけではないからです。

それは突然やってきます。
いつ突然やってくるかどうかは誰にも分からない。

しかし、世界はわれわれのあずかり知らないところで動いている。
その事実に触れたとき、わたし達はそれを偶然と呼ぶのです。

すると偶然は恐ろしいモノにも見えるでしょう。

それでもこの映画が伝えたかった大いなる世界は「全ては肯定的である」ということではないかとわたしは思っています。

それでも世界は続いている、個人の苦悩があっても、それが耐えられないようなモノであっても、世界は個人を包んでくれるということだと思うのです。

日々の生活の中で救いを経験したこと、意外に頻繁にありませんか?

それは「忘れる」ことと、苦悩どころでない経験。

大いなるモノを見たとき我々は自分の持っている苦悩など忘れてしまうし、小さいモノだと思えます。

そして、悩みの解決方法というのは実は直接的ではなくてもいい場合があるということを「マグノリア」は教えてくれます。

もちろん行動によって解決することもあれば、癒やされることかも知れないし、周りの何かのきっかけで解決することもある。

「マグノリア」は視野狭窄に陥っている個人に対してもっと広い世界においでよ、というように語りかけているとも思えます。

大いなる世界は、怖く見えても自分たちを許してくれると思えます。

このようにマグノリアは我々の知らない大いなる世界を素晴らしい演出で表現してくれます。

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