「ナラタージュ」あらすじと感想【ネタバレ注意!】

ナラタージュ

よくあることですが、子供ができてからというもの、それまで趣味としていたものがどんどん遠ざかっていきました。

映画もその1つ。
赤ん坊を連れて映画館には行けませんし、少し大きくなってきたところで、

一緒に行けるとしたら、子供向けのアニメや戦隊モノに限られてしまいます。
もう何年も、自分の好みで映画を選ぶことなんて無く・・・。

そんなわたしが3年前、子供を夫に預けてまで観に行った映画、それが「ナラタージュ」でした。

島本理生の原作の大ファン。
行定勲監督がメガホンをとるので、何が何でもという気持ちで映画館に足を運んだのでした。

「ナラタージュ」ストーリー

ナラタージュ

主人公の工藤泉と、彼女の高校時代の演劇部の顧問であった教師葉山貴司とのラブストーリーです。
「ナラタージュ」キャスト
  • 工藤泉:有村架純
  • 葉山貴司:松本潤

「ナラタージュ」とは、映画などで誰かの記憶を辿るようにして過去のことを描き出す手法のこと。

この映画も、社会人になり映画会社で働く泉が、窓の外に降りしきる雨を見つめながら、学生時代を思い返す形でストーリーが進んでいきます。

高校生の頃、クラスに馴染めずにいじめを受けていた泉

他の教師がそれを見て見ぬ振りをする中で、葉山だけは泉を気にかけて、自分が顧問をする演劇部に誘います。

葉山の支えの中で、演劇部で仲間にも恵まれ、自分の居場所を見つけることのできた泉は、やがて葉山に想いを寄せるように。

一方で、葉山も教師と生徒とは割り切れないような態度を泉にとります。

エマ

ところが、実は葉山は既婚者だったのです。

卒業の日、誰もいない教室で泉にキスをする葉山。
けれどそれ以上のことは無く、また泉から求めることもできず、2人はそのまま別れてしまいます。

数年後、大学生になった泉のもとに葉山から電話が・・・

演劇部の卒業公演、部員数が少なくてできないので、泉にOGとして参加して欲しいという内容でした。

泉はそれを受け、葉山と再会。
高校時代から胸に秘めていた想いが溢れ出します。

葉山もまた、そんな泉を優しく受け止めるのです。

練習を重ねるごとに2人の距離は近づき、泉は今度こそ葉山と結ばれることを期待しますが、実は葉山はまだ妻とは別れていませんでした。

傷付き、ショックを受ける泉。

そんな泉を支えたのは、同じように助っ人として練習に参加していた大学生の小野でした。

優しく穏やかに寄り添ってくれる小野に告白され、「この人なら葉山を忘れさせてくれるかもしれない」と思った泉は、告白を受けることに。

2人は付き合い始めます。
ところが、泉の心の中から葉山が消えることはありません。

小野もそれに気付いてはいるものの、泉を手放すことも出来ず、やがて2人の関係はぎこちなく歪んでいきます。

演劇部の後輩の自殺というショッキング!

病院で出会った葉山の打ちひしがれた様子に、1度は小野と共に病院を後にした泉でしたが、揺らぐ気持ちを抑えきれなくなり、小野の制止を振り切って葉山のもとへと走ります。

病院の前で蹲って泣く葉山を、強く抱き締めながら、泉は思い知るのです。
やはり自分は葉山を愛しているということを。

その気持ちに、もう嘘は吐けませんでした。

2人はここにきてようやく互いに向き合い、泉は初めて葉山の苦しい胸の内を知ります。

葉山の妻は、結婚後に姑との関係に悩み、どうしようもなくなり自宅に火を放ちました。

精神を病み、実家に戻った妻と今後どうしていくのか。
答えを出せないままただ日々が過ぎていく中で、葉山が出会ったのが泉だったのです。

人気のない寂しい海岸の波打ち際に立ち、葉山は泉に自分の決心を伝えます。妻のもとへ行く、と。

すべてを知った上で、泉は葉山に自分の想いを告げ、葉山も自分も同じであると答えます。

結ばれることはないと知りながら、2人は最後に激しく求め合い、そして別れるのでした。

葉山は「ずるい男」??

この作品についてのインタビューで、たびたび行定監督は葉山のことを「ずるい男」と語っていました。

病気の妻を捨てる酷い男になることもできず、かと言って完全に泉を拒絶することもせず、思わせぶりな態度をとっては傷つけた。

言われてみれば、葉山はずるい男なのかも。

でも、女性のわたしから言わせると、相手が既婚者だと知っても完全に関係を断ち切れず、演劇部の助っ人の誘いを受けた泉もまた、浅はかだったと感じます。

そして、この映画のもう1人の中心人物、小野。
彼もまた、嫉妬に駆られ、泉に対して暴力的とも言える態度に出てしまいます。

こういった弱さや愚かさや醜さを如実に描いた映画は、最近では「重い」「暗い」と受け取られて、あまり流行らないという印象があります。

確かに明るい内容ではないけれど・・・

実際、「ナラタージュ」は観終わった後に「あー、面白かった!」と笑顔で言えるような映画ではありません。

安易なカタルシスを得られることもありません。
むしろ、この映画を観た後には、微かな胸の痛みがいつまでも残り続けました。

それでもわたしは、エンドロールで泣きながら、この映画を観て良かったと思ったのです。

弱くて愚かで醜い人間が、必死に誰かを愛して、それ故に間違いを犯してしまう。
目を背けたくなるような、でもこれこそがリアルではないでしょうか。

恋愛なんて、綺麗なものじゃない

かっこよくもない。
感動的でもない。

もっと、恥ずかしくて、みっともなくて、情けないもの。
本当に、どうしようもない。

エマ

「ナラタージュ」は、それをわたし達に突き付けてくると同時に、そんな苦しい恋の記憶を胸に今を生きる泉を通して、「それでいい」と言ってくれるのです。

綺麗じゃなくていい。
間違ってもいい。

そして、その恋で結ばれなくてもいい。
ただ、そこに恋があった。

「ナラタージュ」は、そのことを肯定してくれるのです。

もしかしたら、若い人たちの胸にはこの映画はあまり刺さらないかもしれません。

でもいつか、誰かを本気で好きになって、その恋にもがいて苦しんで打ちひしがれたとき、この映画のことを思い出すのではないでしょうか。

そして、少しだけ救われるかもしれません。

まとめ

映画の最後、回想を終えた泉が窓の外を見ると、雨は止み、雲の隙間から光が差し始めます。

この終わり方は、実は小説とは大きく違うものです。

未来への光を感じさせるこのラストシーンは、監督から私たちに向けたエールだったのではないかと、そんな風に想っています。

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