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マーストリヒト条約の内容をわかりやすく解説

桜の木の前で笑っている女性

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この条約は、1992年12月9日に調印の欧州連合設立を定めたもの。

オランダのマーストリヒトでEC(ヨーロッパ共同体)加盟国によって採択され、「ヨーロッパ連合条約」とも言います。

目次

EC(欧州共同体)とEU(欧州連合)の違いってなあに?

ECとEUって何が異なるか分かりますか?
簡単に言えばECは欧州連合の3つの柱の1つです。

ヨーロッパ内の地域的統合の初期は経済共同体としての統合から始まっており、ヨーロッパ内で人・モノ・カネが自由に行き来できる仕組みとしたのがECです。

ECにより経済的な共同体となった後、さらに欧州は経済だけでなく、他の分野でも統合して1つの共同体を目指します。

つまり、元々経済共同体としての機能を持っていたECに2つの柱を加え、統合したのがEUとなります。

EUの3つの柱

  • 第1の柱:「欧州共同体(EC)」 経済・社会・環境政策
  • 第2の柱:「共通外交・安全保障政策」 外交・軍事
  • 第3の柱:「警察・刑事司法協力」 犯罪対策の協力

第1の柱が経済的な共同体であるECです。
これに安全保障、軍事、外交関連、犯罪対策といった2本の柱を加えてEUとしました。

3つの柱のいずれにおいても超国家主義と政府間主義の原則の中で均衡を保つ形となっています。
中でも第1の柱には超国家主義が色濃く表れています。

3本柱は何回かの修正や項目の統合を経て、2009年12月に発効したリスボン条約でその構造を廃止しています。

欧州連合設立までの流れ

2つの世界大戦で荒廃したヨーロッパは国際社会での政治&経済的な影響力低下を避ける目的で、ヨーロッパ域内の地域的な統合を模索し始めます。

ECの前身機関の1つ、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)は2度の世界大戦を引き起こしたドイツを監視するため、独仏間の歴史的対立を解消する狙いも含まれていました。

戦争に必要になる石炭と鉄鋼に関する国家的な主権を超国家機関に預けることで制限し、再び戦争となる火種を抑え込もうとしたのです。

欧州連合(EU)設立までの年譜

1948年 ベネルクス関税同盟
ベルギー、ネーデルランド(オランダ)、ルクセンブルクの3か国で構成。
第2次世界大戦中の1944年に3国の亡命政府がロンドンで締結、1948年に発効。

1952年 欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)
フランス、西ドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イタリア

1958年 欧州原子力共同体(EURATOM)
欧州経済共同体(EEC)

1967年 欧州共同体(EC)
ECSC、EURATOM、EECの3つが統合して発足。

1973年 第1次拡大
英、愛、丁

英国は歴史的に欧州とは一定の距離を置いており、対米関係を重視してきていましたが、経済発展の遅れを懸念し、ECに参加。

1981年 第2次拡大
ギリシャ
ギリシャが共和制に移行したことにより加盟。

1986年 第3次拡大
西、葡
工業化の遅延が顕著だったスペインとポルトガルが加盟。

人・モノ・カネ・サービス以上の自由を目指す「単一ヨーロッパ議定書」も調印。

1993年 マーストリヒト条約発効。 ECからEU(欧州連合)へ

1995年 第4次拡大
瑞、芬、墺

2002年 統一通貨ユーロ流通スタート

人・モノ・サービスの移動のフリーダム化。
より高度な市場統合の下で行われることを目指し、統一通貨ユーロを導入します。

2004年 第5次拡大
バルト三国、ポーランド

2013年 第6次拡大
クロアチア

2020年 英国のEU離脱が決定

マーストリヒト条約の内容

上記でもご紹介した通り、ECは主に経済・社会・通商に関する共同体でしたが、欧州の共同体には外交政策、軍事、刑事分野に関しても統合していくことが望まれていました。

とはいえ、加盟国のいくつかが欧州共同執行機関より各国政府で強い権益を維持させておきたかったのです。

共同体に外交、安全保障、防衛、移民・難民、犯罪、司法協力に関与できる権限を付与するのが欧州連合の狙いですが、加盟国の中にはこのような権限を共同体に付与することは、国家の主権を脅かしかねない、自分たちの意思で決めたい、という反対意見が上がりました。

欧州連合の設立のためには、共同体に委ねる「超国家主義」と国家が独自に物事を決定する「政府間主義」の原則の間で絶妙なバランスを取る必要が出てきたのです。

このような雰囲気があったため、従来のECにおける経済分野に関する権限は他の権限とは分離させる狙いで三本柱構造にして外交・軍事の柱と刑事司法分野を並立させる形をとったのです。

更に、行政機関を監視するオンブズマン制度を設立することにしたのがマーストリヒト条約。

デンマーク・フランス・イギリスで批准が困難に

ですがこの条約は欧州の3か国で批准が困難な状況に。

1992年6月、デンマークで国民投票が実施。
5万票差で批准が拒否となってしまいます。

これがフランスに波及。
こちらの国民投票は、賛成票が51.05%と僅差で批准という結果に。

さらに英国ではマーストリヒト条約の社会政策条項に関する免除規定を野党が反対、与党内でも一部反対に回る議員が出て批准が否決されます。これによってメージャー政権は信任を失うこととなります。

その後、デンマークでは4つの例外条項を設けた「エディンバラ議定書」を付けることで1993年5月18日に批准にこぎつけることができています。

変化し続ける欧州

マーストリヒト条約により欧州連合となったヨーロッパですが、加盟国として申請している国があり拡大する一方で、英国が離脱を決定しました。

欧州連合のような国家間が一体となった仕組みのなかでは、経済的に豊かな国に後進国が経済を引き上げてもらえる一方で、先進国は経済的に問題がある国の巻き添えを食うこともあります。

そのほか、EU内の大国、つまり独仏の意見が大きく反映され、小国の意向は通りづらいという構造上の問題もあります。

また、欧州は地理的な要因から難民が流入しやすい場所であり、EU基準の難民受け入れに対して国が耐えられないという問題もあり、こういったことも英国のEU離脱の理由となりました。

このように、今後大国がEUを離脱する可能性もあり、EUの経済的な基盤が脆弱になる可能性もゼロではありません。

特にFXでユーロに投資をしている方は、EUとしてだけではなく、EU加盟国の個別の問題にも目を配るようにしておくと今後の値動き予想やリスク回避をいち早く行うことができますので、ニュースはこまめにチェックしておきましょう。

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